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作品解説

南太平洋サモア諸島で暮らすルペンガー家には、モアナという息子がいた。一家は、常食とするタロイモ採りに出かけ、イノシシの通る道に罠を仕掛ける。珊瑚礁の岸に寄せる波間に、丸木船に乗って採集に出かける。モアナと婚約者ファアンガセは、結婚式の準備のために踊り、モアナは、成人式の刺青をしてもらい、いよいよ村人の歌声とともに挙式の準備が整った。


監督・スタッフについて


ロバート・フラハティ
Robert Flaherty
(1884-1951)
ドキュメンタリー映画の父。代表作に『極北のナヌーク』(1922)、『モアナ』(1926)、『アラン』(1934)、『ルイジアナ物語』(1948)などがある。フラハティが撮る映画は、映画史上に並ぶものがないほど素晴らしく、世界中の人々に愛され続けている。物語と言うより詩的な彼の映画からは、被写体にとってはドラマ化されたフィクションであるにもかかわらず、静かなリアリズムが感じられる。

フランシス・フラハティ
FRANCES FLAHERTY
(1883-1972)
『モアナ』では共同で監督・製作・脚本をこなし、カメラマンでもあった。夫であるロバート・フラハティと共に映画を製作し、協力者として人生を捧げた。フランシスの写真や文章は広く発表されており『サモア』(ロバートの名で出版、1929年)と『ある映画作家の旅―ロバート・フラハティ物語』(1960年、みすず書房、現在は絶版)が出版されている。
モニカ・フラハティ
MONICA FLAHERTY
(1920-2008)
ロバート・フラハティ、フランシス・フラハティ夫妻の娘。3歳の時に『モアナ』を撮る両親と共にサモアを訪れた。モニカはイギリスで教育を受け、第二次世界大戦時はパイロットとして働く。その後、ニューヨークにあるフォーチューンマガジンやベティ・パーソンズ・ギャラリーでキャリアを積んだ。バージン諸島やプエルトリコに住んだこともある。人生最後の38年間は、アメリカのバーモンド州ダマーストンにある両親の農場に位置するフラハティ研究センターでの仕事に力を注いだ。
ブルース・ポズナー
BRUCE POSNER
今作品、音声版『モアナ・ウィズ・サウンド』のデジタルリマスター版の制作をプロデュース。1894-1941年頃のあまり観られていない初期のアメリカ映画の復元に携わる。
リチャード・リーコック
Richard Leacock
(1921-2011)
イギリス、アメリカのドキュメンタリー監督でありダイレクトシネマの先駆者の一人である。1946年、ロバート・フラハティ監督が『ルイジアナ物語』のカメラマンとしてリーコックを雇った。1980年にモニカ・フラハティと共に音声版『モアナ・ウィズ・サウンド』を完成させるために撮影現場のサモアの島に行く。音声の録音を担当。

ドキュメンタリーについて

映画でのドキュメンタリーという言葉は、そもそもアメリカの記録映画作家ロバート・フラハティが 1926年2月7日にニューヨークのブロードウェイにあるリアルト劇場にて、サモア島の住民の日常生活を記録した映画『モアナ』が公開された際に、 イギリスの記録映画作家であり評論家であるジョン・グリアスン(1898-1972)が、1926年2月8日のニューヨーク・サン紙に寄稿した映画論評のなかで初めて使ったことばである。 人間の発見と生活の調査、記録、そしてその肯定を目指したフラハティは、ドキュメンタリーの父と呼ばれている。(世界大百科事典より抜粋)

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